?後閑城…攻めたカモ?! ~ Anna 鴨×旅 Vol.3 ~
【後閑城・本丸編】
今回は、二の丸から東郭を経て、本丸(主郭部)へと向かう。その前に…二の丸と本丸の間にある「大堀切」を、遊歩道として歩いていたことにハタと気づき、「道」ではなく「堀切」として眺めてみることに。大堀切と本丸の比高は20m以上…。
「この城塁をよじのぼらないと、本丸には行けない! ってことカモ」
「そうだねぇ…」
「へんしゅ~ちょ~には無理、カモ」
「 …… 」
よじのぼるのは体力的にも体型的にも無理なので、大堀切から東郭、本丸へと続く遊歩道へ。ちなみに、この大堀切から東側に下った位置に「東郭群」と「東駐車場」があるのだが、そこへ下りていく道も新たにつくられた「管理用通路」である。

ここを下りると東郭群
東郭は、本丸部との比高を感じにくく(調査当時の資料の中には比高約7mと書かれている)、北側が一段低くなっている構造と植栽のためか、二分されているような印象(私は専門家ではないので…あくまでも、単なる歴史好きとしての意見)。また、前出の資料には本丸・東郭間に枡形虎口に相当する踊り場状の所があるとされている。ここから北郭第一堀切へも道が通じているが、そのまま上へと進む。
「へんしゅ~ちょ~、何か立派なものがある、カモ」
「これ、最初に読みたかったんだけど…」
後閑城の説明は、この立体模型(S=1;625)の横に記されている。
「カモちゃん、立体模型の上、のってみる? 」
「お〜!! 一国一城の鴨、カモ?!」
「いや、天守鴨、だね」
「中世城郭には、天守閣はないと思うんですが…カモ」

天守…鴨…カモ?!

あんなカモちゃんがいるのが本丸部、ネギがあるのが二の丸部…
また、本丸エリアには『もう一つの史跡』がある。それは、江戸・寛政期に、旧後閑城の家臣と称する上原、安藤、中島氏らが発起人となって造られた「百庚申(ひゃくこうしん)」。安中藩家臣や近隣の人々に働きかけて有志を募り、3年あまりの月日をかけて、128基の庚申塔をたてたという。広場をぐるりと囲むように立つ石塔群が、何ともいえない雰囲気を醸している。百庚申のある本丸部・広場の虎口から、西郭へと下りることにした。
次回は【後閑城・西郭、北郭編】カモ。北郭には見どころの一つとされる3つの堀切がある…カモ!