?磯部城…涼しくなったら、攻めるカモ?! その前に…  Anna 鴨×旅 Vol.5

(2016年7月15日 お使い アリさん)

 

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 サイトをご覧の皆様にとっては、カモちゃんとともに後閑城址公園を紹介した記事も記憶に新しいかも、デ・ス・ガ…。実は、次の『城攻め』も計画していたのであった。じゃ~ん(あぁ、ここらでバックにホラ貝の音とか、入ってほしい)。それは…磯部城址。磯部温泉にもほど近いこの城址は、小規模ながら「武田信玄」にもゆかりのある戦国の城である。

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 しかぁ~し!! “土の城攻め”には不向きな季節。現地は涼しくなったら行くことに決め、まずは事前学習へ。渋川市北橘町にある公益財団法人群馬県埋蔵文化財調査事業団へと取材に出かけた。というのも、磯部城の発掘調査は県が行っており、出土した多数の近世、近代陶器は、同事業団が保管しているからだ。

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 建仁元(1201)年、佐々木盛綱によって築城されたとも伝わる “伝説の城” 、磯部城…。調査報告書によると、磯部城址(安中市鷺宮地内)の調査は、平成26年6月、県・安中土木事務所による砂防施設(急傾)事業にともない実施された。調査対象地は城址の南ろくにあり、北から南へと傾斜している場所。地表から平均1mほどのところまでは、北の急斜面から崩れた土で覆われていたという。その下を掘り進めて調査が行われたところ、調査区西側の同じ面から「方形の炉」と「井戸」が !!  さらに、北の急斜面との境には、東西に掘られた直線的な「細い溝」も発見された。

 残念ながら、調査ではこれらの遺構の確実な時期や、磯部城との関係ははっきりしなかった。ただ、井戸の上層から出土した陶器は18世紀のものと分かったため、井戸はその時期よりも古い時代に掘られたものという可能性がある。興味深い話をいろいろと聞かせてくれた同事業団の上席専門員によると、「戦国期、現在の安中市がある地域は、有力者たちの“草狩り場”(多数が覇権、利権を争う場)になっていたと考えられます。“武田流の縄張り”ともいわれる磯部城は、安中城の付城(つけじろ)だったのではないか? とも思えますね」とのこと。ちなみに、戦国の城として見応えのある松井田城址は“北条流の縄張り”といわれている。

 最後に、調査報告書の「まとめ」に書かれた文章を添えてみよう。
「…前略…  廃城以来、畑作地や宅地に転用された様子がないので、土塁や空堀の遺構は見事に完存している。城郭内の遺構の残存状況が極めて良好である故にこそ、その解明のためにも、また必要な保存措置を講ずる上でも、本格的な調査と保存、活用のための措置が早急にためされるべきであろう」。

 また、出土した近世から近代の陶磁器類については、こう書かれている。「小規模な調査であった割に出土した近世〜近代の陶磁器類は質・量ともに豊富であることは特筆に値しよう。…中略… これほどまとまって出土した近世陶磁器類の資料群は、群馬県内における近世陶磁器の一つの指標となるべき資料と位置づけられるものと考える。資料として活用されることを期待したい」。

 いずれも、発掘調査に関わった専門家から見た結果を踏まえ、このように書かれているのだ。安中には、まだまだ多くの人が知らない “価値あるもの” が隠れていることが分かるだろう。涼しくなったら、ぜひ現地の様子をお知らせしたいと思う。

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