秋間ゆかりの「元助」をしのび供養祭開催
(2015年3月27日 お使い アリさん)
3月25日、安中市中秋間の秋間公民館講義室で「第52回忠僕元助供養祭・全体祭」(秋間史跡保存会主催)が開催された。またそれに先がけ、同地域の長岩地区(四十七義士石像前)、久保地区(久保観音堂前)、館地区(出生地供養像前)では地区祭も開催。地域にゆかりの深い「元助」の遺徳をしのんだ。
『仮名手本忠臣蔵』で広く世に知られるようになった元禄赤穂事件。吉良上野介義央邸に討ち入った四十七士の話は多くの人の知るところだが、ここ秋間地区にも赤穂事件にまつわる伝説が残されている。時は江戸時代。下秋間村に生まれた元助は、吉良邸に討ち入った義士の一人、片岡源五右衛門高房に仕えていたという。義士らが切腹した後、元助は剃髪して音外超円と名乗り、浅野内匠頭長矩、瑤泉院、四十七義士を供養する石像と供養塔を作ってその菩提を弔ったと伝えられている。この石像、供養塔が、安中市指定史跡となっている「元助遺跡義士石像・義士供養塔」だ。
供養祭全体祭には、茂木英子市長をはじめ、同会会員や秋間地域の住民ら約50人が参加。同会の鈴木繁会長が元助遺跡の近況を伝えたほか、同会員有志による「日舞・忠僕元助の唄」や、秋間公民館「日本のうた教室」参加者の合唱なども披露された。
同会では、元助が晩年を過ごしたとされる南房総市(旧和田町)の住民とも交流が続いており、両市の住民有志が交互に双方の供養祭に参加。今年4月に同市和田町花園で行われる「向西坊供養祭」(元助は晩年向西坊と名乗ったとされる)には、秋間から同会有志が参加する予定という。