日本最古の?! 温泉記号 ~磯部公園~
JR信越線の磯部駅から歩いて5分足らずの場所にある磯部公園。碓氷川を高台から望むこの公園には、子どものための遊具やあずまやがあり、地域の住民にとっても憩いの場となっています。園内にある詩碑は、著名な詩人の一人に数えられる北原白秋や、彼の「門下三羽烏」と称される萩原朔太郎、室生犀星、大手拓次らのもの。いずれも安中市に由来するか、この地にちなむ文豪の作品です。
それらの詩碑に囲まれるように顔をのぞかせる温泉マーク発祥の石碑。地図上で温泉や鉱泉の位置を示すことから転じて、公衆浴場などにも用いられるおなじみの地図記号に、見覚えがあるという方も多いのではないでしょうか。この温泉マークの起源には諸説ありますが、万治4(1661)年に上野国碓氷郡の農民による土地争いに決着をつけるために、江戸幕府が下した評決文に描かれたものが日本最古の使用例として最も有力だと伝えられています。
古くから泉源があったことで知られる磯部は、1783(天明3)年の浅間山の大噴火によって温泉が大量に湧出したことから湯治場として発展しました。明治時代に信越線が開通すると、遠方からの客足も増加し、都会に負けないにぎわいを見せていたようです。
磯部公園は1871(明治4)年に地元の住民が所有していた土地を当時の磯部村が借り上げて公園としたもの。現在のように安中市の所有となったのは1950年代半ば(昭和30年以降)で、温泉マーク発祥の石碑は、なんと当時の観光協会の会長が私費を投じて建てたものだそう。文献が残されていないため「なぜ建立したのか?」などのくわしい事情は明らかになっていないものの、歴史ある磯部のランドマークであることに変わりありません。
石碑によく目を凝らすと、私達が現在目にしているものとは、やや形状が異なっているのが分かります。より小さく描かれた泉源と長くたちこめる湯気から、まだこぢんまりとした湯治場の様子がうかがい知れるよう。さまざまな文豪たちの詩碑がたたずむ公園で、たまにはこの地の歴史にふれてみるのもいいかもしれません。
(協力:安中市商工観光課)
(出典:群馬県信用保証協会http://vpack.gunma-cgc.or.jp/column/201203.htm)