碓日嶺(うすいね)鉄道碑の現地説明会に参加
(2015年9月30日 ふみふみ)
碓氷峠の「めがね橋」を過ぎ、熊ノ平駅跡に碓日嶺(うすいね)鉄道碑があります。この石碑は明治26年(1893年)4月、軽井沢駅に建立され、関東大震災で倒壊したまま放置されていたといいます。それから30年あまりが過ぎた1954年、当時の横川保線区長小山五郎氏によって熊ノ平駅に再建されました。
参加した現地説明会では、碓氷峠浪漫倶楽部理事長の萩原豊彦氏が、碓日嶺鉄道碑に刻まれた664文字を分かりやすく解説。石碑が「何の為に、どうして建てられたのか。誰が書いたのか、掘った人は誰か」などについて説明してもらい、石碑の裏側も重要であると教えていただきました。
碓氷峠は地形が険しく、勾配も急なため、鉄道開通に世界の国々でもあまり採用されていない「アブト式機関車」を採用しました。開通する経緯、工事費、技師名など、軽井沢住民がこの大事業を後世に伝えようと考えたことなどを聞き、感慨深く思いました。最後の文面には、東国一の難所であった碓氷峠を開通させ、交通不便なところが開けて、物流が流通する利益は百世の後まで続くだろうと刻まれています。
この碓日嶺鉄道碑は修復され、両側はレールで補強されています。この石碑は何回か見たことがありますが、説明会で石碑の裏側をあらためて見てみると、寄付した人と金額が刻まれています。後世に伝えたい当時の人の気持ちが、熱く伝わってきました。
取材 : ボランティアサポーター・ふみふみ